トランプは、実はインテリやくざか
ドナルド・トランプの大統領選勝利から2か月が経過したが、未だにネットニュースにはトランプの話題が絶えない。
政治素人ながらに思うのは、彼の政治は、過激ではあるが理に適っているなということ。やろうとしていることの意図が見えるというか。
日本の政治なんかは逆にどこが目的で何を手段としているのかを、はっきり言わない政治家が多い(憲法改正関係なんかは特に)気がするから、トランプの良くも悪くも正直な姿勢に好感が持ててしまう。
だからか、彼への不安感が薄まっている気がする。大統領選前の、感覚でしゃべっている姿から何をしでかすか分からない、未成熟な幼児のようなイメージを持っていた。自分の気まぐれやその場の気持ちで動いちゃう人というか。
ただ、大統領選の言動、行動からは良くも悪くもやりたいことがはっきりしていて、それを具現化するための手法が見えてきた。インテリなやくざに近いイメージに変わってきた。
だから、話が全く通じない人⇒利を提示できれば話は聞いてくれそうな人に僕の中のトランプ像が変わってきた。
その上で彼の政策には色々不安になってしまうけれど。
興行成績と作家性への評価を兼ね備える「シン・ゴジラ」はやっぱり化物だ
yahooニュースでこちらの記事がトップになってました。
昨年の大ヒット作「君の名は。」が「キネマ旬報」ベストテンから漏れていたことがなぜか?という疑問で読者を引っ張り、「キネマ旬報」の選考委員に映画通が多く視点が個性的であること、より作家性の高い作品が評価される傾向にあることを解説した文章になっています。
それに対し、コメントは冷静で
今さら興行成績と映画の作品評価が一致しないことは常識、わざわざ記事にするほどのことでもない、と手厳しいです。
僕自身同じような感想を抱いたので、まあ確かにと思って眺めていました。
でも、僕が衝撃を受けたのはこの記事の最後の一文。
一方、「キネマ旬報ベスト・テン」で2位だった『シン・ゴジラ』は、現代社会に対して非常に強いメッセージ性を内在しながら、エンターテインメント作品として興行的にも大成功を収めるという、ある意味で2016年最大の衝撃的作品だったのかもしれない。
こっちを記事にしろよ、と突っ込んでしまいました。
作家性への評価と興行成績は分かれるものだ、というテーマより、作家性への評価と興行成績を高い水準で兼ね合わせた「シン・ゴジラ」はやっぱり化物だった、というテーマの方が今の時代に合っているのでは・・・
私見ですが、サブカル界では「自らの作家性を貫く」と「大衆に広く認められる」は両立できないもの、という神話が昔からあると思います。故蜷川幸雄さんが、昔から仲間とやっていた小劇場から離れ、商業系の仕事を行い始めた際、仲間たちは蜷川さんを非難したと聞きます。大衆にこびへつらったという文脈で。
大衆に認められる道を選ぶということは、自分の作家としてのプライドを捨てる事、こだわりを捨てる事とみられていたのでしょう。
でも、ここに来て「シン・ゴジラ」が両立を証明してしまった。
自分の作家性を貫くことと大衆から認められることを証明した。それができることを。
だから、「シン・ゴジラ」は怖い作品であるとともに勇気をもらえる作品なんだなと思いました。
「私は自分の作品を作れればそれで満足。自分の作家性は所詮他の人からはわかりえないのだ」語るクリエイターには言い訳の余地を封じ
「自分のやりたいことを貫いたら他の人たちはついてこられないんじゃないか」と迷うクリエイターには可能性の種を見せた
とてつもない作品だな、と改めて。
編集術を相対化してみてほしい 「僕たちは編集しながら生きている」
good point
〇様々な手法が載っていてアイディアが様々に浮かんでくる。
・インタビューの手法
・ライフ・ワークショップ
・フリーペーパー
・ニューレビュー
〇メディアとして社会に発信する、という意識を発信者は強く持った方がいい、と伝えてくれた
bad point
〇文章が、少し広告ぽかった(特に卒業メンバーからのコメント)
・編集術は人生を豊かにしてくれ、仲間も増やしてくれていいことづくめ、みたいな書き方だけどホントかよ、と思った。
・その術を得ることによって失うものはなにか、をもっと聞きたかった
総評
広告的な文章と書いたが手法の紹介は丁寧で誠実。編集術は人生に通じる、と書く割に、その術は他の何かと相対化されてなかった気がした。
6点
合理性(正)教徒と抒情異教徒の十年戦争 in ホリエモン 堀江貴文「ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた☞そしたら意外に役立った」
最近はすっかりお茶の間でお馴染みの存在となったホリエモン。ネタがなくなったらとりあえずコイツに頼っとけば問題ないっしょとばかりに最近は雑誌の表紙、コメントに彼の名前や写真を頻繁に見かける。
目立ちたがりを嫌悪するバリバリ保守派の母でさえ図書館から彼の「本音で生きる」を借りてきたときには、ここまで彼のキャラクターが大衆に共有されようとは…とある種感慨深く感じた。フジテレビ買収騒動の時や逮捕されたときなんかには考えられなかったよね、ホント。
僕の中でホリエモンはとことん合理性を重視する人間、というイメージがある。並みいる投資家を30分待たせてけろりとしていた、や、バカな質問をしたインタビュアーには冷淡な態度をとるなど、彼からは、社交辞令といった人間関係の緩衝材をとことん省き、合理を遵守する人間というイメージを強く感じる。もはや、人間性を一部喪失しているのではないか、と僕などは感じることがある。
そんな彼が、この本の中では違った一面を見せていると私は感じた。
「ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた」。彼が獄中で読んだ本の中でオススメをピックアップし書評をまとめたものだ。
リリー・フランキーの「東京タワー」書評とともに筆者のリリーさんとの交流を明かしたエピソードに私は驚いた。なぜなら、その部分は、堀江さんのリリーさんへの承認欲求を強く感じたから。彼がここまで強く抒情性を持たせた文章を書くとは思わなかったからだ。
しかし同時に堀江さんは、自身の親との関係においては合理性を読む側に強く意識させる。彼は自身の親を亡くした時の自身のダメージを心配し、あえて距離を取るようにしているという。彼は、リスクヘッジだとクールに締めるが、僕にはそのポーズに無理がとても感じられる。
彼の中の作戦(合理性)が勝利を収めるのだろうか?それとも、普段見せない抒情が彼を襲うのか?
不謹慎ながら、その瞬間彼がどんな感情を見せるのか、非常に気になる。
中村うさぎ「変?」 中村うさぎ好きは一緒に飲み明かそう
対談本なのに、哲学が通底している気がする。(哲学書読んだことないけどサ)
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