教師が「女子力足りない」と説教するのは不思議。そもそも女子力ってなに?
togetterを眺めていると、教師が生徒に「女子力足りない」と指導したというまとめを見つけた。
いやいや、そもそも思うのだが、「女子力」、略して「J」って何よ?
僕の中で「J高いね」は便利屋ワードなイメージが強い。「なるほどねー」とか「確かになー」とか「すごいねそれ」とかと同じように、相手が何かアピールしてきたり、何か主張してきたとき、自分の中で相手に反応する言葉をうまく見つけられなかったり、とりあえず相槌うっとけ、という時に出す言葉だ。だから、この「J」が具体的に何か、よくわからない。
でも、言われるタイミングを想像すれば何かヒントが見えてくるかもしれない。
①飲み会の時に野菜を取り分けたとき
②毎回メイクをばっちし決めてきている女性に対し(主に同性から言われている、それも特にメイクなど普段しないようなタイプ)
もっと抽象的にすると
①ちょっとした気遣いを見せたとき
②他者に対し、女性性のアピールが見えたとき
だと思う。
っていうか、これって、「女子」と、ずれてないか?
①のちょっとした気遣いは、別に女の専売特許ではないだろう。「ジェントル力」(奇しくもこれも「J」)と称してもいいだろうし、「大人の社交力」としてもいいだろう。これを「J」(女子力の方ね)と呼ぶのは、前時代の、女は男の下について、お茶くみだのをやっておけばいいんだよ、という価値観を感じて、僕はイラっとする。しかも、この言葉を使うのが、若い女の子だったりすると、更にモヤモヤが重なる。「お前、それを女子力と言っちゃっていいのか!?これを女子力と言うのは、飲食内でのちょっとした雑事は女性の仕事だと前提にしている発言だぞ!?若い女のお前が、その屈辱的な状況を受け入れるのか???」と思ってしまう。(まあ、この状況が屈辱的かどうかは個々の判断によるだろうが。女の義務として誇りを持っている人もいるのかなあ。あんまり信じらんないけど)
②の他者に対して女性性のアピールが見えたとき、「J高い」というのはどうだろう?
うーん、悪くはないのかもしれない。でも、それ、女子の魅力とはまた違うイメージを抱くんだよなあ。この場合のJとは、「他者を意識して自分の魅力をうまく編集できる力」のことでしょ?それって「女子」より、「大人の女性」の方がよりうまく備えている力なんじゃないのかな?酸いも甘いもかみ分けて、自分をどう出すかしっかり計算できる力。
ああでも、書きながら考え変わってきた。確かに、他者を意識して自分の魅力をうまく編集するのは、40代、50代より20代30代の若い女性かも。年配の女性ほどそういう、自分の魅力を出していくことから興味を失っていく気がする。なんというか、開き直ってはっちゃけていく人が多いのではないか。自分の魅力を出すことにどん欲なのは、20代女子の方に多いと思えてきた。
どうでしょう?みなさんの周りではどうですか?
すっかり脱線してしまったのだが、私がもともと考えてた「J」とは、「JK」力ともいえるものだ。すなわち、「女子高生」。
僕は女子高生が世界最強の生物だと考えている。彼女らには「今、ここ」しかないのだ。自分が今知っている場所、空間が世界の全てと信じ切っていること。未来のことを寸分も想像せず、今の楽しみにどん欲である。だから、僕は外から見ていて、とてつもなく羨ましい。
その、客観など信じず、主観のみ、自分たちの世界で無理なく充足する、その能力の方がより女子に近いと思うのです。それこそ、いわゆる「女子」と聞いて連想する世代(僕であればティーンの女子)に特有なものな気がするし。
あと、「J」って、「JK」とも近いし。
ああでも、女子会の様子をインスタにあげてるのってどうなんだろう?
自分たちの中で楽しんでいるっていう感じもするし、周りにアピールしている感じもする。
そっか、僕はそもそも「女」が分かんないのか。