読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ナンパと評論をごった煮にすると謎肉になります

ナンパの計画と書評について書き込んでいくブログです。時々時事ネタ入れます。よろしくお願いします

沖縄の低姿勢の回送バスに思う「そこまでしなくしゃいけないの?」

沖縄バスが回送運行になると、「申し訳ございません」と入れ始めたらしい。

ニュースによると、沖縄では評判が上々らしい。コメント欄では逆に戸惑いの声が多かったが。

news.yahoo.co.jp

 

僕も正直、そこまでしなくちゃいけないの?と思ってしまう。

 

 

少し、仮定の話をしてみよう。

もし、僕もバスを待っている際に来たバスが「回送バス」だったら。いつもより出発が遅れて間に合うか間に合わないかの瀬戸際で、とてつもなく急いでいて、やっときたと思ったバスが「回送バス」だったら。

確かに、「ああ、もう!!!」と思うだろう。苛立ち、怒る。目の前の回送バスに憎しみに近いものを覚えるかもしれない。まあでも、ここからは自明すぎて語るのも恥ずかしいのだけど、別に目の前のバスが回送バスじゃなかったら自分が待つダイヤのバスになるのではない。ダイヤのバスはその回送バスと交代で走っているわけではない。まったく別の循環の中で走っているわけだから、無関係なのだ。だから、その怒りをバス会社に向ける方が理不尽なのだ。バス会社に落ち度は何一つないのだから。

 

なぜ、彼らは謝るのか。それは、彼らを責める人がいるからだと思う。責める人は、何を責めているのか。バス会社の何を過失と考えているのか。僕の貧困な想像力では、上記のような、自分が早くバスが来ることを切望しているときに来たのが、回送バスだったら、という仮定しか思い浮かばない。別に町中にある回送バスの存在そのものに怒る人などいないだろうし。

そして上記でも述べたように、急いでいるときに来たのが回送バスであっても、バス会社を責めるのは理不尽だ。バスが遅れるのは道路状況の結果だ。運転手の不手際ではない。

 

以上、僕がなぜバス会社は謝るのか、ということを推論した結果だ。

 

だから、僕は違和感を覚える。バス会社が謝ってしまうことに。謝っておけばよい、という考え方が社会に広まるのが嫌だ。自分がその場合に謝らなければいけなくなったら大変不愉快だからだ。自分が悪かったと思えないことに謝りたくない。クレームをいれる奴の方がただのバカだと思うから。

 

まあ、確かに丁寧さは日本の美徳だろう。お客様は上の存在、という図式のもと、相手を不愉快にさせぬよう、様々な礼を尽くす。海外では、(私は国外に出たことがないから実態は知らないが)そうもいかないらしい。客側が大変不愉快な思いをすることも少なくないと聞くし、日本がそうじゃなくても良かったなあ、と思う。

ただ、今回の事例は、礼を尽くす、というより面倒だから対話を避けよう、という意図が透けて見える。だから嫌いだ。言っておくけど、このバス会社を非難したいわけではない。いや、バス会社のこの方針は嫌いだけども。

でもそれ以上に、このような行動を許す、この社会の風潮事態が嫌なのだ。嫌な事があればすぐ他者のせいにし弱者(自分に歯向かってこない存在)を責める。弱者は責められるのが嫌だから、謝罪という免罪符を前面に押し出す。

なんというか、「悪者」の押し付け合いをしているような印象を受ける。責める方は自分が正義だと思っている。というか、正義だと思いたいから、弱者を責める。責めてる側は常に強者だから、善悪を決める権利を持っている。

弱者は、「悪者」にされるのが嫌だから、謝罪という切り札を出す。このカードを出したものは、よほどのことでもない限り、鉄壁のガードを得ることになる。彼らは公認された弱者になる。それにより、「他の者がそれ以上責められない」という、相手に「悪者」の仮面を被せる武器にもなる。謝ったのものを更に責めるのは、「悪」がすることだからだ。

 

もうみんな、先に謝ってしまえばいい。

名刺にも「申し訳ありません」と記載し

広告にも「申し訳ありません」と記載し

店の看板にも「申し訳ありません」と記載し

謝罪が横行すれば謝罪は無価値になる。そうすることで、みんなが晴れて悪者になる社会がやってくるのだ。誰かに悪を被せるよりは、みんながちょっとずつ、自分が悪だと思っている方が、まだ生きやすいのではないか。