「東京タラレバ娘」を、セカンド童貞が見たらどうなるか
全国の男たちに言いたい!!!
「東京タラレバ娘」は、お前たちの為にある物語だ!
え?いやいや、どうせリア充女子たちが、内輪でうだうだ騒ぐだけのドラマでしょ?と思っているそこのあなた。まあ、とりあえず、聞いてくださいな。確かに、この話は、結婚したいけどできない、3人の女性を主人公にした物語です。冒頭は確かに、内輪のうだうだから始まります。「キャーイケメン!」とか「今年こそ結婚したいー」とか、僕ら男にとっては、心底どうでもいいトピックから始まります。
でも、ここで朗報。このドラマの世界は彼女たちのうだうだだけでは完結しません。一彼女らに、
お前ら、イタイよ
と言ってくれるキャラがいるんです。「あの頃の告白を受け入れていれば、今頃結婚してたのになあ」とか「女磨きしてたら、そのうちいい人と結ばれるよね」とか3人で話しているわけですよ。そこに、彼女らが羨むような若いイケメンが現れ、「オバサンたち、根拠もない「~たら」「~れば」の話をいつまでしてんの?現実見ろよ」と言い去っていくのです。
ここで、よく言ってくれた、と思うと思うでしょ。違うんですよ。僕の心も痛いんです。僕も、いつまで「~たら」「~れば」夢見てんだよ、と言われたような気分になったんですよ。つまり、僕は、イケメン側ではなく、女性たちに感情移入して見ていたんです。
ここがこのドラマ(というか原作マンガ)のすごいところ。女の子の、「結婚できていたはず…」という甘い幻想を、「タラ」「レバ」という表現を使うことで、人間の普遍的な「甘え」「怠惰」の感情にまで押し上げ、女だけでなく、自分に甘い妄想と過剰な自信と少しの後悔を抱える全ての人間に突き刺さる表現にしているんですよね。
だから僕も、このイケメンに「よく言っていくれた」、と思うのではなく、「なんでそんなこと言うんだよおおおおお!!!鬼いいいいい!!!」と思ってしまうんですね。
吉高由里子演じる主人公が、秀逸な例えを終盤に出します。
「自分はずっとベンチに座っていただけなんだ」と。
結婚したい女の子は、常にバッターボックスに立ち、自分を見せ、勝負しに行っていたと。恥をかき、うまくいかないこともありながら、それでも勝負する姿勢は持ち続けていた、と。しかし、翻って自分は、ずっと野次を飛ばしていただけだった。いつでも代打で打ちに行けるとうぬぼれ、バッターボックスの子たちを偉そうに評論していたけれど、自分はいつの間にか誰よりも下手くそになっていた、と。
いやーそうなんですよね。恥をかくかもしれないけれど、それを承知で、自分が評価される場所に立たないと何も掴めないんですよね。
ここで、僕は思ったわけです。ああ、これは僕ら童貞の物語だ…
モテを勉強している奴をバカにしたり
一人の女に執着しているよう奴をあざ笑ったり
婚活パーティーなんかロクな女いねえのによく行けるな、とうそぶいたり
いやいやいや
僕は僕に言います。そいつらの方がよっぽどいいぞ。
お前より、確実に自分の実力をつけることにどん欲だぞ。というか、確実に実力をつけるぞ、あいつらは。というか、もっとそれ以前に、そこで一歩踏み出せる出せないは、ほんとに、ぜんっぜん違うぞ。勇気とか実力とか今後の後悔とか、もう色んな意味で。
彼らは、自分が評価される場にでることで、自分のモテ度を実感するぞ。(あ、「知る」と「実感」は違うからな。「実感」とは、「身をもって感じる」ことだから)そして、自分の長所、短所を学習する。そして、長所を伸ばし、短所を補うチャンスが彼らには与えられているのだ。
お前が、家でゲームしたりオナニーしている間にな
言っておくけど…、というか、わざわざ言うほどのことでもないけど
「東京タラレバ娘」の主人公3人より、よほどイタイぞ、お前。将来40歳で童貞とかマジ、ネタにもできないからな。
…。自分に散々ナイフを刺したところで、
再度、叫んでおきます。
P.S.あと、大島優子のバットの構えが様になりすぎ!と突っ込んだのは僕だけではないはず