ナンパと評論をごった煮にすると謎肉になります

ナンパの計画と書評について書き込んでいくブログです。時々時事ネタ入れます。よろしくお願いします

興行成績と作家性への評価を兼ね備える「シン・ゴジラ」はやっぱり化物だ

headlines.yahoo.co.jp

 

yahooニュースでこちらの記事がトップになってました。

昨年の大ヒット作「君の名は。」が「キネマ旬報」ベストテンから漏れていたことがなぜか?という疑問で読者を引っ張り、「キネマ旬報」の選考委員に映画通が多く視点が個性的であること、より作家性の高い作品が評価される傾向にあることを解説した文章になっています。

 

それに対し、コメントは冷静で

今さら興行成績と映画の作品評価が一致しないことは常識、わざわざ記事にするほどのことでもない、と手厳しいです。

僕自身同じような感想を抱いたので、まあ確かにと思って眺めていました。

 

でも、僕が衝撃を受けたのはこの記事の最後の一文。

一方、「キネマ旬報ベスト・テン」で2位だった『シン・ゴジラ』は、現代社会に対して非常に強いメッセージ性を内在しながら、エンターテインメント作品として興行的にも大成功を収めるという、ある意味で2016年最大の衝撃的作品だったのかもしれない。

こっちを記事にしろよ、と突っ込んでしまいました。

作家性への評価と興行成績は分かれるものだ、というテーマより、作家性への評価と興行成績を高い水準で兼ね合わせた「シン・ゴジラ」はやっぱり化物だった、というテーマの方が今の時代に合っているのでは・・・

 

私見ですが、サブカル界では「自らの作家性を貫く」と「大衆に広く認められる」は両立できないもの、という神話が昔からあると思います。故蜷川幸雄さんが、昔から仲間とやっていた小劇場から離れ、商業系の仕事を行い始めた際、仲間たちは蜷川さんを非難したと聞きます。大衆にこびへつらったという文脈で。

大衆に認められる道を選ぶということは、自分の作家としてのプライドを捨てる事、こだわりを捨てる事とみられていたのでしょう。

 

 

でも、ここに来て「シン・ゴジラ」が両立を証明してしまった。

自分の作家性を貫くことと大衆から認められることを証明した。それができることを。

 

だから、「シン・ゴジラ」は怖い作品であるとともに勇気をもらえる作品なんだなと思いました。

「私は自分の作品を作れればそれで満足。自分の作家性は所詮他の人からはわかりえないのだ」語るクリエイターには言い訳の余地を封じ

「自分のやりたいことを貫いたら他の人たちはついてこられないんじゃないか」と迷うクリエイターには可能性の種を見せた

 

とてつもない作品だな、と改めて。