読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ナンパと評論をごった煮にすると謎肉になります

ナンパの計画と書評について書き込んでいくブログです。時々時事ネタ入れます。よろしくお願いします

他者を愛することで、自己を愛すること 角田光代「八日目の蝉」

読書 感想 2016 読書 感想 中央公論新社

 こんにちは。マシマシでっす。今日は、角田光代さんの「八日目の蝉」と読みました。これ、直木賞もとってるし、映画化もされ、昔結構話題になったみたいですね。

www.youtube.com

 

 いつものように、ネタバレ全開で話していこうと思います。

 

 

不倫相手の赤ん坊を誘拐し育てた女性・希和子と、その赤ん坊・恵理菜を語り口にした小説です。

 1章は希和子が語り手を務め、4年間に渡る希和子と薫(希和子が名付けた赤ん坊の名前)の逃亡生活が描かれています。友の家、古い民家、カルト宗教施設、小豆島…身を寄せる場所を次々に変えながらも、希和子は愛する薫と共にいられる幸せを享受します。しかし、警察の捜査から逃げきれず、誘拐から4年後、希和子は警察に捕まり、恵理菜は元の家族の元へ戻されます。

 2章は成長し、20歳で大学生活を送る恵理菜を語り手にしています。4年間の別離が原因で元の家族との関係はうまくいっておらず、恵理菜は一人暮らし。そして、希和子と同じく不倫しています。宗教施設で数少ない子供同士だった千草との再会、自身の妊娠をきっかけに恵理菜は過去と向き合う決意をし、昔過ごした宗教施設、小豆島を訪れることに決めます。

 こちらが、この小説のあらすじです。そして、この小説の中で、ぼくが、一番身につまされた部分が、こちらです。

 

あの人に―岸田さんに会いたくなったら、生まれた子供を強く強く抱きしめよう。岸田さんが私にそうしてくれたように、世界で一番好きだと赤ん坊の耳に幾度でもささやこう。そうしたら私は岸田さんを憎まなくてもすむだろう。

 

 僕自身の身につまされました。

 僕は、常に愛されたいとアピールを繰り返した気がします。ちょっかいをかける。ちょっとしたボケを言う、など…。それは、その人を楽しませたいとか、空間をなごませたいとか、そういう他者のためのものではなく、あくまで自分を見てほしい、愛してほしいというアピールでした。そして、愛されないとき(愛されないと私が感じたとき)、僕は自分を蔑んできました。ここまで他者に愛されない自分はダメな自分だ、と。

 自分が寂しい時こそ、愛してほしい時こそ、他者を抱きしめる、愛する。それが、この本で進められていることだと思います。

 

 そして、この決意を境に、

恵理菜は、薫が昔見ていた景色、思い出を、恵里菜である自分が話せることに気づきます。確かに昔薫であった自分を受け入れます。

薫の母の希和子が拘束されたとき、「その子は朝ごはんをまだ食べていないの」と叫んだことを思い出します。逮捕されるときまで薫が腹を空かせている心配をしている希和子を思い、自分は確かに愛されていたのだと思い出します。

本当の母の恵津子が4年ぶりに恵理菜に再開した際、突進して抱きしめたことを思い出します。薫である自分も恵理菜である自分も確かに愛されていたことに思い至ります。

 愛されていた自分と愛していた他者を認め、この物語は終わりを迎えます。