ナンパと評論をごった煮にすると謎肉になります

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福岡伸一「生物と無生物のあいだ」

福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」を読んでます。

 

 科学と、私たちの共通する考え方を示してくれる本だ。だから、科学の、生物をどう定義するかの流れを示されている本なのに、大変秀逸なハウツー本としても読めるし、先人たちの足跡を辿る文学のようにも思える。

 

 

 私が特にお気に入りなのは、レントゲンを見るときに、心の内に用意されている理論を見る、と彼が書いているところだ。。

 

 訓練をつんだ医者は、胸部X線写真を眺めただけで、そこにわずかな結核の手がかりやあるいは早期ガンを疑うに足る陰影を認めることができる。私たちが同じものを手にしても、そこにはぼんやりとした雲や霞のような白い広がりが見えるだけだ。

 実は、医者がX線写真をライトにかざすとき、彼が診ているものは、胸の映像というよりはむしろ彼らの心の内にあらかじめ用意されている「理論」なのである。

 

 この、写真から自分の中の理論が誘発される現象は、私たちが小説、映画、演劇のようなコンテンツに触れているときに私たちに起きる現象と全く同じだと感じた。

 マンガのページを私たちが見るとき、戸惑うことはない。その絵と文章の集合が、右から左へ、上から下へと時間経過が描写され、一枠につき1シーンが描写され、吹き出しがキャラクターのしゃべったセリフだと、私たちがすでに知っているから。絵と文章の集合が、物語を描写する方法(=理論)だと知っているから、私たちはマンガを楽しめる。

 また、各キャラクターにある、記号がどんな感情を示すか私たちは知っている。

〇口角の上がり方

〇影の付き方

〇目の丸の大きさ

このような記号が示す感情を、私たちは知っているから、登場人物の心の流れを私たちは楽しめる。

 

 表現も、科学も、先人たちが積み上げてきた多くの知識と表現方法の先鋭化と受け取る側のリテラシーの向上によってなりたっている。その積み重ねの深さとその陰にある名前の残らない人々の、多寡あれど、望む望まらざるに関わらず発展のため費やされた時間を考えると、積み重ねの上にある現在を重く感じられる。それに、記録に残ることで、踏み出させてくれる。自分がたとえ失敗に終わったとしても、それは地層となって残るのだ、と思える。

 それは、とても勇気のもらえることだ。