ナンパと評論をごった煮にすると謎肉になります

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筒井功「忘れられた日本の村」 限界集落の中の遺産に目を向ける

「この小さな山間の天地にも一三〇〇年を超す歴史があり、その盛衰にはなかなか激しいものがある。どんなにささやかに見えても、これこそ歴史と呼ぶべきものではないだろうか」

継承者がなく途絶えた狂言の曲目の舞が伝統として伝わる村や、裏庭から水晶が掘り出せる家がある村など、他にはない個性、伝統を持った村を7つピックアップし紹介している。その伝統たちのルーツ、今に至るまでの経緯を著者自身の推察を加えながら紹介している一冊。

著者が、限られた資料を使い、パズルを組み立てるように、過去にあった姿を想像する過程が面白い。マンガの考察本を読んでいるようなワクワク感がある。著者自身も想像力をフルに稼働していることを楽しんでいるようで、一緒に楽しんでいる感覚がある。

 

また、「忘れられた日本の村」というタイトルを聞くと、連想する「忘れられた日本人」。著者自身も意識していたようで、タイトルはここからとったらしい。しかし、本自体の趣旨も読んでいるときの感覚もスタイルも大きく違う。

個人史に根差したのが「忘れられた日本人」である一方、村の歴史に根差したもの「忘れられた日本の村」。個人史は、一人の証言をそのまま提示するだけでいい。その言葉を聞き、その人間の背後にあるもの、当時の感動を私たちは想像する余地がある。

しかし、この本では、村の歴史を提示している。村の歴史を形創るためには、情報を編集し組み立てる作業を必要とする。そのためか、「忘れられた日本人」に比べ、既にパッケージング化された講義を聞いている感覚を受ける。

 

そのため、2冊の本が持つメッセージも大分性格が違う。

「忘れられた日本人」に載っているのは、「昭和、明治の人たちのちょっと面白い話」であり、消えていった風土を想像し、自分なりに組み立てることができる。その生活を魅力的に思うかどうかも私たちにゆだねられている。

この「忘れられた日本の村」は、最初に「魅力ある村の個性」と打ち出しているため、読みやすくはある。どの部分が、どう魅力的かを追えばいいだけだから。しかし、それが今の私たちに必要か、という判断を著者は私たちに求めてはいない気がする。